「みんな輝いて見える」スマホから距離を置いたら、隣にいる人の温かさが見えた話
「みんな輝いて見える」その視線、少しだけ隣に移してみませんか
毎日の暮らしの中で、スマートフォンに触れる時間はどれくらいでしょうか。家事の合間、通勤途中、そして夜寝る前。気がつけば、つい指先で画面をなぞり、流れてくる情報や誰かの投稿に時間を費やしているという方も少なくないかもしれません。特にSNSを見ていると、友人や知人の「充実した日々」や「素敵な出来事」が目に飛び込んできます。「みんな楽しそう」「私だけが立ち止まっているのではないか」と感じ、漠然とした焦りや疲れを覚えることがある、というお話もよく耳にします。
こうした「みんな輝いて見える」という感覚は、知らず知らずのうちに私たちの心に小さな波風を立て、身近な人との関わり方にも影響を及ぼしているかもしれません。目の前に家族がいるのにスマホを見てしまう、友人との会話中も通知が気になってしまう、といった経験はないでしょうか。デジタルでの繋がりが増える一方で、目の前の人との「心の繋がり」が少しずつ希薄になっているように感じることもあるかもしれません。
今回は、私がデジタル、特にSNSとの距離を少し見直してみたことで、身近な人間関係が温かく変化した体験談と、かつてデジタルデトックスに挫折した私でも無理なく続けられた小さな工夫についてお話ししたいと思います。
SNSの「輝き」に囚われて見失っていたもの
私がスマートフォンに多くの時間を費やすようになったのは、周りの友人たちが次々とSNSを始めたことがきっかけでした。最初は遠方に住む友人との近況を知る楽しいツールでした。しかし、いつの間にか画面に流れてくるたくさんの情報や、キラキラと輝いて見える他人の日常と自分を比較し、ため息をつくことが増えていきました。
「〇〇さんは海外旅行に行ったのね」「△△さんの手料理はいつも素敵」「うちとは違うなあ」――。そうした投稿を見るたびに、自分の平凡な日常が色褪せて見えるような気がしました。SNSを見終わった後、心が満たされるどころか、かえって疲れてしまう。そんな状態が続いていたのです。
この疲弊感は、現実の人間関係にも影響を与えました。家にいる時もスマホが手放せず、家族が話しかけてきても上の空で返事をしてしまう。久しぶりに会った友人との会話も、スマホの通知音が気になって集中できない。デジタル上の「いいね」やコメントに一喜一憂し、目の前にいる大切な人たちの存在がおろそかになっていることに、徐々に気づき始めたのです。
一度、「よし、デジタルデトックスだ!」と意気込んで、スマホの利用時間を大幅に減らそうとしたこともありました。しかし、それは長続きしませんでした。仕事の連絡や情報収集など、どうしてもスマホが必要な場面はありますし、完全にシャットアウトすることは難しく、「やっぱり無理だ」と諦めてしまったのです。
「頑張らない」デジタルとの付き合い方で見えた変化
失敗経験から学んだのは、「完璧を目指す必要はない」ということでした。大切なのは、デジタルを完全に排除することではなく、自分にとって心地よい距離感を見つけることなのだと気づいたのです。そこで、無理のない小さなことから試してみることにしました。
具体的に始めたことは、以下のようなことです。
- 朝起きてすぐはスマホを見ない: 目覚めたら、まずはカーテンを開けて外の空気を吸い込んだり、白湯を一杯飲んだり。たったこれだけですが、一日の始まりをデジタルではなく、自分の体と向き合う時間にするよう心がけました。
- 食事中はスマホをテーブルに置かない: 家族との食事の時間はもちろん、一人で食べる時も、スマホはカバンや別の部屋に置くようにしました。食事の味や香りをゆっくりと味わうことに集中できました。
- SNSを見る時間を決める(ただし、ゆるく): 「何時から何時まで」と厳密に決めるのではなく、「1日に〇回程度」「見るのは合計〇分まで」といった、あくまで目安として意識するようにしました。通知が来るたびに見るのではなく、自分のタイミングで見に行く習慣をつけました。
- 通知の一部をオフにする: 緊急性の低いアプリやSNSの通知はオフに設定しました。「ピコン」という音に反応して、思考や集中が中断されるのを防ぐためです。
これらは、どれもほんの小さな一歩です。最初から全てを完璧にできたわけではありませんが、少しずつ意識することで、スマホに振り回される時間が確実に減っていきました。
そして、スマホを見る時間が減ったことで生まれた「余白の時間」に、自然と目が向いたのが、身近な人たちとの関係でした。
デジタルを離れて気づいた、隣にいる人の温かさ
スマホから少し距離を置くようになった頃から、いくつかの嬉しい変化がありました。
まず、心が穏やかになったと感じます。SNSで他人と自分を比較することが減ったことで、「みんな輝いて見える」という焦りや劣等感から解放されました。自分の日常にある小さな幸せに目を向けられるようになったのです。庭の花が咲いたこと、美味しくお茶を淹れられたこと、そうした一つ一つの出来事を以前より大切に感じられるようになりました。
そして、家族との会話が増えました。食事中にスマホがないことで、自然と会話が生まれます。その日あった出来事や感じたことを話したり聞いたりする時間が、以前よりずっと温かく、心満たされるものになりました。顔を見て話すこと、相槌を打ちながら話を聞くことの大切さを改めて実感しました。
また、しばらくSNS上での「いいね」のやり取りだけで済ませていた昔からの友人にも、思い切って電話をかけてみました。「元気?」というたった一言が、LINEのメッセージで終わるのではなく、声を通して伝わる温かさや、言葉の端々から感じられる感情の機微に触れることができました。実際に会う約束をすることも増え、画面越しではないリアルな繋がりの心地よさを再発見しました。
SNSでたくさんの人の「表面的な輝き」を眺めているよりも、目の前にいる家族や、声を聞く友人の「温かさ」を感じる時間の方が、自分にとってどれほど大切で、心を豊かにしてくれるものか。デジタルとの距離を見直したことで、そのことに心から気づくことができたのです。
小さな一歩が、穏やかな日常と豊かな繋がりを育む
デジタルデトックスと聞くと、難しく構えてしまうかもしれません。しかし、完璧を目指す必要はありません。大切なのは、自分自身の心と体、そして身近な人との関係に目を向ける時間を持つことです。
今回お話ししたように、朝の数分間スマホを見ない、食事中はテーブルから離す、通知を一つオフにしてみる、といった小さな一歩から始めることができます。それは、デジタルを「敵視」するのではなく、あくまで自分の生活をより心地よくするための「調整」なのだと考えてみてください。
もしあなたが、かつて私のようにデジタルデトックスに失敗した経験があるとしても、あるいは、スマホに時間を取られすぎていると感じているとしても、大丈夫です。今日から、ほんの少しだけ、デジタルとの距離を見直してみませんか。
その小さな試みが、あなたの日常に穏やかな時間をもたらし、目の前にいる大切な人たちとの人間関係を、より温かく、豊かなものにしてくれるはずです。そして、「みんな輝いて見える」という視線は、いつしか「隣にいる人も、私も、それぞれの温かい輝きを持っている」という優しい視線に変わっていくかもしれません。
この記事が、あなたの心地よいデジタルとの付き合い方を見つけるための一助となれば幸いです。